[O]僕が個人的に思う体罰を行なってしまう指導者の特徴

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今回はいつものWebやデザインというテーマとはかけ離れた内容になりますが、以前から考えていたことを書いてみようと思います。

僕は地元で地域の少年サッカーのコーチもやっているんですが(最近は、定期的にお手伝いできていませんが)、そういう立場から他のチームの指導者さんをみる機会も多くなります。

そういった環境の中から、これまで指導者として見てきた10余年の間に感じたことをまとめてみました。

予備軍なんてどれだけでもいる

例の事件でもそうですが、体罰という事柄を暴力が伴う行為として認識されていると思います。しかし、僕はもうちょっと広義的な意味で捉えています。

例えば、体力をつけるためとの名目での走り込みとか。その練習、本当に必要ですか?もっとオーガナイズして多くの機能をもたせた練習にできませんか?と問うと、恐らく反論はなかなかできないと思います。

試合に負けたら罰則ならぬ罰足。取られた点の分だけ走らされるとかね。未だにこんな指導が行われている現場も実際にあります。

僕は、正直言うとそういう指導も体罰のうちに入ると思います。少なくとも僕の定義する「体罰」で言うと。

そう考えていくと、事件に取り上げられた指導者の予備軍なんてたくさんいると思いますよ。

では、僕が思うそのような指導者の特徴をご紹介していきます。

指導に対して向学心がない

自分が指導しているスポーツをある程度極めた指導者や、選手時代に一定の世間が評価してくれるであろう結果を得たことのある指導者の方には特に多いように感じます。

要するに、自分が経験してきたことだけを活用して指導を行うような指導者は、基本的に向学心がないと見受けられることが多いです。

そして、それが故に練習の内容を変則的に変更させたり、多目的化することを不得意とするような方々が多いと感じます。

子供(選手)と話をするときにサングラスをしている

これは個人的な主観が強いかもしれませんが、サングラスをしたまま選手と話をする指導者は、経験的にあまり良い指導者の方はみえませんでした。

というのも、なぜサングラスをしなきゃいけないのか。個人的に目に何かしらの不安や病を抱えてみえる方は当然ですが該当しません。

この場合、指導者からは選手の目は見えるけど、選手からは指導者の目は見えないということに気づいていない指導者が多いと感じます。

特に子供相手の場合、選手とのコミュニケーションを図る際に一方通行になりがちです。やはり、言葉だけでなく、目でも語りかけられる指導者であるべきだと思います。

精神論をよく口にする

指導歴の浅い方には多いかもしれませんね。

とにかく「頑張れ!」で済ませてしまう指導者が多い。「負けて悔しくないのか?!」「気持ちが足りないんだ!?」とか云々。

選手は「どう頑張ればいいのか」を指導者に求めています。要するに、頑張らなっきゃいけないことくらいわかっていますし、頑張ることは前提でその場にいます。

負けて悔しくない選手はいません。「負けて悔しくないのか?!」という指導者の多くは、自分が負けて悔しいことを選手に当たっているだけです。

気持ちが足りないのではないのです。上手くなりたい気持ちは選手みな同じです。気持ちが足りないのではなく、技術や戦術が足りないのです。

このように、精神論を口にする多くの指導者は、自分の指導した結果を受け入れられていない方が多いように感じます。それを選手に当ててしまうんですね。

是非、精神論を口にする前に自分の指導内容に不備がなかったかを検証するべきでしょう。

※少年サッカーの場合、選手によってモチベーションの違いは大きいです。ですが、そのモチベーションを上げれていない指導を見直す必要があるでしょう。

試合中、常に大きな声で支持を行う

スポーツによって様々かと思いますが、ことサッカーにおいては試合中、大きなお声で支持を行う指導者はエゴが強いように感じます。

というのも、状況的に考えると大きな声で指導しても選手には聞こえにくいということは分かるはずです。そして、頭で考え声に出し、それを選手が聞き取れて判断できる時点ではもうその情報は古いものになっています。試合の中で状況が変わってしまっていることが多い。

ですが、そういう場合、選手は指導者の荒げた大声によって焦りを感じ、冷静な判断ができなくなる。

すると、結果としていい方向に向かうことは少ないように思います。

確かに指導者は一緒に戦っているわけですが、ちょっと戦い方を間違えているようにも感じます。持論から言うと、指導者の戦いは戦いの前に終わっているべきです。

諭すように話せない

選手に対していつも怒っているような話し方をする指導者は多いものです。よって、恐いというイメージを選手がもってくれれば、それで従順に動いてくれると経験的にわかっているからそうしてしまうのです。無意識下でもそうしてしまっています。

ですが、そういう状況でしか動けない選手は、将来指導者が変わった場合、どうなるでしょうか。

歳を取り、大人になっていくにつれて自分で切り替えができるようになるとは思います。しかし、それは別に大人になるまで待つ必要はないのです。子供のうちからそれはできます。

そのためには、選手の心理面を理解し、論を説明し、理解させ、実践によって成功させる。その蓄積を練習と呼びます。また、それを繰り返すことによって、自分で動ける選手が育ちます。

「論より証拠」という言葉もありますが、「証拠を得るためには論が必要」になる場合も多いと思います。

まとめ

長ったらしく書いてしまいましたが、簡単に言い表せられる言葉がありました。それは、「本当に選手のことを思って指導しているか」という点が分け目になるでしょう。

そこに指導者のエゴや目標を思い入れず、選手やチームのためにどうするべきかという点を逆算していけば、体罰を行う必要はないということです。

特に僕が行なっているようなボランティア的な環境の場合、青年育成が目標となる場合も多いので余計にそのような視点が強い場合も多いですが。

自分の指導が今後もブレないように書き記してみました。