「書くこと」を楽しむために

このブログの更新頻度を見て欲しい。2013年まではTwitterをはじめとしたSNS友達の影響か、ブログの投稿数も「まぁ、運営されてるのかな」レベルの更新頻度だったが、2014年は3件、2015年は9件、2016年は12件と、とんでもない更新頻度である。

文章を書くことは個人的には好きだ。これはあくまでも「好き」なレベルであり、それが「読むに値する」かどうかは全く自信はない。自己満レベル万歳といったところ。

この「文章を書くことは個人的には好き」という、この感覚がとても邪魔なことに気がついた。

文章を書くことは好きだが、そこに加えて「できれば読んで欲しい」なんておこがましい感覚が混じっているからさぁ大変なのである。

その感覚は、ブログの執筆を何度も何度も下書きで止め、眠りから覚めることのないドラフトスペースから身動きを取ることは許されず、いずれ来るであろう「ゴミ箱行き」のクリックを待つだけという、なんとも無駄なものなのである。

それに気づいては忘れ、また思い出しては忘れ、それを何年も繰り返してきながら、ブログを書くことを楽しんでいる周りのみんなをどこか遠目で見ていた。

そして、またしても思い出したのである。表題の通り「ブログは読まれない」ということを。

ブログは読まれない。いや、読まれないと思って書くくらいが丁度良い。

人間は全てのアクションに対して、何かしらの意味や意義を持たせたがる。人間のせいにしてはいけない。こと自分のことである。

相手に何かを頼まれる。それに応えてあげる。「ありがとう」と言ってもらうために。

子供におもちゃをせがまれる。それに応えてあげる。楽しくそれで遊んでくれる優越感を得るために。

世の中、何かしらこういった流れがあるはずである(と思っている)。

ブログもそう。

ブログを書く。TwitterやFacebookで更新のお知らせをする。そして、アクセス解析を見ると感じられる「見てもらえた感(PV感)」。

ブログを書く。TwitterやFacebookで更新のお知らせをする。そして、リツイートやいいね!をもらうことによって感じられる自己顕示欲の達成感。

こういったものは時に必要なのかもしれないが、僕にはとても中毒性のある悪いものに見えてきた。こいつらに犯されると何か違う世界に連れて行かれそうな気さえする。

それらが去って行き、残るのは人のためにならないネットのゴミ(僕の記事)だ。

目的や目標なんていらない。「書くこと」だけ楽しむ。

ブログを運営するハウツー記事なんかを読むと、PVの目標やら収益の目標やらを云々といったものを目にすることも少なくない。

そこを見て頑張れる人はとても素晴らしい人。しかし、僕には難しいらしい。

別に止めたって全然問題ない。これだけ「書くこと」が生活から離れていたら大した支障はないだろう。

けれどもう一度(このもう一度は今後何度来るかはわからない)書いてみようかと思う。

しかし、「書くこと」だけに集中しなくてはならない。SNS上での一喜一憂は毒だ。あれは僕をダメにする。

「ブログを楽しむ(楽しめる)」ためには、まず純粋に「書くこと」を楽しめるようにならなくてはならない。

「読んでもらえる」と思って書くのではなく、「書きたいから」書くというマインドを自身に植え付けたい。

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