みなさんご存知の通り、気分次第で更新されるこのブログの管理人の私ですが、ブログを1年以上更新しなかったこともあるくらい物事を継続することが苦手であります。
というのも、新しいものが大好きな性格からくるのかもしれませんが、どんどんと新しいものが気になってしょうがなく、手広く手を出す割にはなかなか続かない。そんなことをここ36年くらい続けてきました。
しかし、そんな私でもなぜか日記を毎日書くことを1年間続けることができました。その理由は、とても簡単なもの。人間として、親として、とても単純な理由でした。
僕は家族に何が残せるのだろうか
一昨年末、次男が誕生しました。私たち夫婦の家族計画としても計画通りの妊娠・出産ということもあり、特別びっくりするようなトラブルもなく、無事に産まれてきてくれました。
その時に、ふと考えることがありました。
「僕は家族に何が残せるのだろうか」
特にお金を稼ぐことが得意なわけでもなく、社会的に特別な地位があるわけでもなく、ほぼほぼ平均点以下なこの私に、もしいつか何かがあった時。家族には何が残るのだろうか。
気持ちばかりの生命保険金か、古い友達からの「お前の父ちゃん、面白いやつやったぞ」というお世辞交じりのコメントか、それくらいしか思い浮かびませんでした。
「これはあかんな」
単純に心配になりました。しかし、何かの足しにできるようなお金を用意するには時間がもっと必要ですし、社会的地位を築き上げるにはそれ以上の時間が必要です。では、何が残せるのだろうか。すぐに始められることは何だろうか。
そこで思いついたのが日記でした。
子供や家族からしてみれば「親父の日記なんかいらんし」と言われてしまえばそれまでですが、「あの頃、こう思ってたのか」とか「こんなことがあったのか」というちょっとした気づきや思い出が買いてある父親の日記が、役目を果たす時に家族を再び結びつける何かのきっかけになれば、と。そういった考えが浮かび上がりました。
あえて書いておきますが、現時点で何か命に関わる病にかかっているとか、そういうことは一切ありませんので。
一言でも何でもいいから書く
かといって、毎日必ず書けていたのか、といえばそうではありません。最終的に1年間分毎日書けていますが、2〜3日分を書くこともありました。けれど、最大でもそれくらいのブランクで収めるように心がけてはいました。でないと、何があったのか細かいことを忘れてしまう恐れがあったからです。
1ページにビッシリと毎日書けているわけでもありません。3行、4行で終わっている日もあります。そんな日があったって良いと思うのです。
ただし、毎日どのタイミングで書くかは決めるようにはしていました。私の場合は、早朝朝活の時点で前日分を書くという流れが基本でした。
個人的に、1日が終わっていないのに書くというのが、ちょっと気持ち悪い部分がありまして、であれば明けてから早朝に書けば良いかということで、翌日の早朝に前日分を書くというスタイルを基本としていました。
しかし、体調や気分で早朝起床をしない日も当然ありますし、そういう場合には気がついた時に書く、ということで良いと思います。私はそうやって続けてきました。
見返してみると割と面白い
日記に書いている内容は、個人的なことはあまり書いていません。僕から見た子供たちや嫁様について書くことがほとんどです。
しかし、反省点としては長男の保育所送り迎えをしている手前、どうしても長男と接することが多くなり、割と長男に言及することが多かったなと反省しています。今年は次男をフューチャーしていきたいと思います。
今もちょっとパラパラっと見返してみましたが、見てみると「こんなこと考えてたんだな」とか「この日はこんなことしてたんだな」とか、そういった気づきがあって面白いですね。これはデータで残すのではなく、アナログで残すメリットだと思います。
データで残すと、どうしても見返す為にアクションが多くなる。パソコンを起動して〜とか、スマホのアプリを探して〜とか。アナログだと、日記を手に取ればそれでおしまい。好きなように見返すことができます。とても便利。
利用したのは、ほぼ日手帳(http://www.1101.com/store/techo/)です。昔から途切れ途切れしながらも使っていたこともあり、過去に使っていたカバーを再利用できるということもあり、文庫サイズの1日1ページを利用して日記を書きました。
手帳としては全く活用していないけれど、でも日記としては素晴らしく使いやすかった。
まとめ
自分が家族のために何が残せるのかとか、そんなこと考えたことがなかった。
やはり、守りたいものとか失いたくないものとか、そういうものができると、人間変わるのかなと痛感しています。
僕が今残せるのは「日記」でした。みなさんは何を家族や大切な人に残してあげますか?