優しい性格の長男を見て思う我が家的「優しい人」の育て方

  • ブックマーク
  • -
    コピー

とあるショッピングモールに家族で買い物に出かけた時、お昼ご飯を大戸屋で食べた。

長男はいつものお目当てと同じく「お子様メニュー」のカレーを注文。いつもはオムライスなんだけど今日はカレーに挑戦するらしい。しかし、狙いはそこではない。

当然、お目当てはお子様メニューに付いてくる「おもちゃ」である。

小さなカゴにランダムに詰められて(子供には)魅力的なおもちゃたちから、自分が選んだ好きなものを1つだけもらうことができるのだ。

個人的には、「おもちゃを手に入れられる」という点よりも「自分の好きなおもちゃが1つもらえる」という点がストロングポイントとなった特典なのかな、と分析している。

いつもと同じように食事が運ばれてくる前におもちゃのカゴが運ばれてきて、ゆっくりとカゴの中を物色しながらお気に入りのおもちゃを選定する。この作業が一番の魅力なんだと思う。


しかし、今日は少し違った。

カゴの中のおもちゃを物色選定しながらもピンと来ないようだった。引き続き選定を進めるも決め手にかけるようだった。

そこで見つけたのが、前回来た時にもらったピンボールおもちゃ。もらって家でも遊んでいたんだけど、次男にも好評だったことも覚えていたみたいだ。

そこで長男がとった行動は、「もう一度ピンボールおもちゃをもらう」だった。

なぜか。


それは、「弟にピンボールおもちゃをあげるため」だった。

自分がおもちゃをもらう特典を使って、弟におもちゃをあげる。こんな選択肢を誰に促されるわけでもなく取った。

これには正直、僕は驚いた。

日頃、弟とは喧嘩もするが仲良しではある。保育所で先生に兄弟の関係を説明するときに良く使う例えで言えば「トムとジェリー」のような関係である。まさにあれ。仲良く喧嘩してる。

その弟におもちゃをあげるのである。なんであげるの?と聞くと、

「欲しいものがなかったから、弟ちゃん(実際には名前で呼ぶ)にあげるよ」とのこと。

僕は本当にびっくりして、「お前すごいな!」と伝え、大戸屋店内で盛大によしよしと抱擁をお見舞いしておいた。

基本的に気持ちの優しい長男なのだが、こうやって育ってくれた理由は一体どんなことが作用したからなのか。ちょっと考え直してみた。

以下、正しいかどうかわからないが、我が家で意識している考え方の例。参考にするかしないかはご自由に、用法用量を守って自己責任で。

人の痛みを知る

まずは「人に痛いことをしない」。これは徹底している。

男としてどうとか、売られた喧嘩は云々はまだ教えていない。原則として「暴力はいけない」と教えている。

しかし、ただ「痛いことを人にしない」と話すだけではあまり伝わらない。だから、我が家では「それを自分がやられたら嬉しいか悲しいか」と問うようにしている。

何か人に痛いことをやらかした際に問うのは、「それを自分がやられたら嬉しい?悲しい?」である。その返答には真剣に答えてもらう。

ここでおふざけが入った場合には迷うことなく雷が落ちる。うちの雷は宝くじが当たる確率よりもかなり高い確度で落ちる。

「自分がやったこと」を「自分がやられたらどうか」という視点に置き換えて考え直してもらう。これが結果的に「人の痛みを知る」きっかけや思考になると考えている。

良いことをしたときには徹底的に褒める

例えば、人に優しくしたり、親切にしたり、気を使ってあげたりといった具合に「人に良いことをしたとき」には、人目を憚らず盛大に褒めてあげるようにしている。

そうすることで子供達は、「自分が良い行いをしたのかどうか」を言葉ではなく肌で感じることができる。

しかし、これには大人も大人のように振舞っていては場が冷めてしまう。だから、僕は周りがドン引きするくらいの抱擁とキッスで褒めてあげる。(最近、長男自身がちょっと引き始めているが知ったことではない)

褒められることを肌で感じること、アクションで感じることで、それが言葉で伝えられるよりも鮮明に記憶に残り、本人の意識に定着してくれると僕は信じている。

メリハリをつける。ちゃんと伝える。

上記二つの項目に共通することなのだが、各々の対応にしっかりとメリハリをつける。言い方を変えれば、対応をはっきりする。

伝える時はちゃんと伝える。できる限り、判定を均一にして伝える時は伝える。「あの時は伝えなかったけど、今回は伝える」というようなケースは全力で避ける努力をしている。

そうしないと、子供が迷ってしまう。「前は褒めてもらえたのに、今回は褒めてもらえない」と思わせると、判断基準を明確に子供に伝えることができなくなる。

完全にもれなく対応することは難しい。けれど、その意識だけでも必要だと考えている。

後から「あのとき伝えておくべきだったな」と思うことがあれば、過ぎたことでもその時にちゃんと伝えてあげる。親も普通に人間である。完璧なんて無理だし、忘れることもある、忘れても良いということを子供も分かってくれる。

まとめ

間違えないでほしい。これが唯一の方法ではないし、正解でもない。偶然、うちの子供にマッチした方法なのかもしれない。

僕は自分の子供を見て、最適な方法だと思って、この選択をしている。なので、みなさんも自分の子供を見て、最適だと思う方法を考え出して選択してほしい。

  • ブックマーク
  • -
    コピー

この記事を書いた人

Olein_jp

Olein_jp

Web系フリーランスエンジニアです。二人の子供と妻と4人家族で奮闘しています。岐阜市の市民団体の代表をやりながら、WordPress普及活動や子供たちがプログラミングに取り組める環境作りなどのボランティア活動もしています。