昼休みにこんな動画を見た。
知っている人なら知っているロビンソン卿である。教育に若干の興味があれば、Youtubeや書籍などで彼を知っている人は少なくはないだろう。僕もその一人である。
彼のスピーチは刺激的かつユーモラスである。僕にとって完璧なUXを施されたスピーチでもある。
直接的に今回書く内容と関係があるわけではないが、彼のスピーチを見返してこの投稿を書こうと思ったということで、ここに記しておく。
話を聞いて、言葉を伝える
普段、我々が生活している世界には、とても多くのルールが存在する。
- ご飯を座って食べなさい
- 箸はきれいな持ち方をしなさい
- 先生が話している時は静かに聞きなさい
- 授業中はちゃんと座っていなさい
などなど様々である。中にはしっかりと守っておかなければならないものもたくさんあるし、そのルールを守っているから安全に生きていられるというものもある。ルールを軽視する考えは全くない。
家の中にも多くのルールがあることだろう。我が家にもルールはある。
- ご飯を食べる時にはテレビを見ない(つけない)
- 歯磨きをしてからしか見たいテレビは見れない
- 相手に痛いことはしない
といったものだ。他の家庭とさほど変わりはないかと思う。
でも、このルールたちはなぜ定められたのだろう。
ご飯を食べながらテレビを見ると、全然食事が進まないから早く食べて欲しいからこのルールがある?見たいテレビを見てから何も言われずに必ず歯磨きができるならいつテレビを見ても良い?相手が悪いことをしたなら痛いことで仕返しをしてもいい?
色々な考え方ができる。
我が家ではある程度ルールは作ってあるが、子供の意見もちゃんと聞くようにしている。ルールに対して、子供が不満を持つことも少なくない。そういった時の子供のクリエイティブな反論は聞いていて飽きない。
彼らは、なんとか自分たちの意を叶えようと、いろんな試行錯誤でルールという牙城を崩そうと試みてくる。そのクリエイティブさといったら感服する。
彼らがそのクリエイティブさを発揮できる要因は、間違いなく「大人が子供の意見に耳を傾けてあげる」ことである。
これがなければ、彼らは意を唱えることをやめる。叶う希望がゼロだからだ。
子供が何か意義を唱えた時、大人の特権を行使して「〇〇はダメって言ったらダメなの!」で済ましていないか。その回数分だけ、子供のクリエイティブスキルが失われていくと考えても良いだろう。
そうではなく、できるだけ意見を聞き、こちらの意見を伝え、落ちどころを見つけることが大切なのではないか。これは、心にゆとりがないとできない。日々の生活に憔悴しきっている大人が簡単にできることではない。
しかし、子供をクリエイティブにするために、頑張ってみる価値はある。
冒頭の動画で話をされているケン・ロビンソン卿の新しい書籍が発売されている。この記事を書いてから僕も気が付いたので、まずはポチッとしてみることにする。